☜ホーエンシュヴァンガウ城から撮影したノイシュヴァンシュタイン城 ノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)はドイツ・バイエルン州のフュッセンの南、オーストリア国境近くにバイエルン王ルートヴィヒ2世により建設された城。近くにルートヴィヒ2世が子供時代を過ごした、ホーエンシュヴァンガウ城がある。ノイシュヴァンシュタインという名は、現在ホーエンシュヴァンガウ城のある地にかつてあったシュヴァンシュタイン城にちなんで1890年になってから付けられた名で(「ノイ (Neu)」は「新しい」の意味)、建設当時はノイホーエンシュヴァンガウ城と呼ばれていた。シュヴァンガウは、「白鳥河口」の意味の地名で、ホーエンシュヴァンガウは、上シュヴァンガウ村のこと。 ホーエンシュヴァンガウ城☟ ルートヴィヒ2世は中世騎士道に憧れ、ワーグナーを愛好し、膨大な額の援助を彼に施し、彼の創作する楽劇の世界に酔いしれた。一方、ヴァルトブルク城やヴェルサイユ宮殿を目にしたルートヴィヒ2世は、自分の中世への憧れを具現化するロマンティックな城を造ろうと決意する。このため城全体のデザインをしたのは建築家でも技術者でもなく、宮廷劇場の舞台装置・舞台美術を担当していた画家であった。ドイツの城館に本来は必ずあるべき小聖堂や墓地がこの城にはない。ルートヴィヒ王の趣味のためだけに建設された実用には不向きな城である。この城は1869年9月に建設が開始され、1886年には、なんとか居住できる程度には出来あがった。これ以後、ルートヴィヒ2世は首都ミュンヘンに戻らず、この城に住むようになるが、その期間は短く102日間で、王はベルク城に軟禁される。 ルートヴィヒ2世は他にも、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城の建設を始め、さらにはノイシュヴァンシュタインよりも高い岩山の上にさらに壮大なファルケンシュタイン城を建設する計画をたてており、その上オリエント風の宮殿も建設したいと考えていた。これらの建設費用のため借金を積み重ねた。首相らは、ルートヴィヒ2世を形ばかりの精神病鑑定にかけ、統治不能としてベルク城に軟禁した。その翌日、王は主治医とシュタルンベルク湖畔を散歩中に謎の死を遂げた。そしてルートヴィヒ2世が亡くなった1886年6月13日の時点でノイシュヴァンシュタイン城の工事は未完成部分を多く残したまま中止され、その直後から城と内部は一般公開された。ペラート峡谷にかかるマリエン橋から見るのが美しいと言われる。 お城からの帰り道にある聖コルマン教会。周りが草原となっているので、ポツンと建っていてなかなか絵になる教会。今日は一面雪景色。中に入ってロウソクに火をつけたりしました。 今日はお城の見学はせず、ホーエンシュヴァンガウ城の周りだけを散策。ノイシュバンシュタインまではパーキングから徒歩30~40分(もちろん坂道)もしく馬車もあった。ホーエンシュヴァンガウは徒歩10分強なのでそんなに遠くはないかな。
by withflute
| 2010-03-07 22:01
| 旅 ドイツ
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