ベルリン2日目はホテルで朝食を食べてからチェックアウトを済ませて、ベルリンの壁を見に行きました。
土曜日より曇ってはいるけれどかなり暖かく、上着は薄いものを一枚着て歩きましたが途中でいらないくらいでした。 朝食に出ていたピーナッツバター。 つい最近、スーパーでピーナッツバターを久しぶりに食べたいな~と見ていたのですが、あまり甘すぎないものがいいけれどどれがいいかわからないと言って結局買いませんでした。 せっかくあったので試してみたら、これは全然甘さがありませんでした。原材料を見たら砂糖は使われていないようでした。甘過ぎるのは好きではなりですが、もうちょっと甘さがあると美味しいかな。 ホテルの最寄の駅の壁にあったタイル。中央に島が2つありますが、これはベルリンを現わしているのですよね。 ここがベルリンを東西に分断していた壁の跡。 ベルリンの壁は2重になっていてその間は無人地帯とされていました。壁を乗り越えて東ドイツから脱出しようとした人達を一目で見つけられるようになっていたとのこと。 一部今でもベルリンの壁は残されていて、壁にはいろいろな絵が描かれています。 これは東ドイツ時代に走っていたトラバント。ドイツの人達の間ではトラビと呼ばれていたそうです。 壁に描かれていた絵。落書きもいっぱいですね~。 トラビツアーというものがあるらしく、数台のトラビが道路を走っていました。 壁が壊されたのは1989年11月。この時代、日本は平成元年。1961年から28年間東西ドイツに分かれていたわけですが、この28年間の間の東西の経済発展は雲泥の差があったと言われています。 西へ逃れようとした人々が、この壁を乗り越えようとして命を落とした人は100人以上(もっと?)。日本が平成に入り、バブル景気真最中の頃にドイツでこういうことがあったということを、私はうまく想像が出来ません。 ドイツ語の授業でドイツの現在と昔をテーマに勉強をした時、ベルリンの壁や、旧東ドイツの生活、その人々の事などが出てきましたが、それ程大昔ではない時に現実にあったことだということがあまり信じられません。 ベルリンへ行こうと思った時に知り合いのドイツ人に、その当時のことを聞いてみました。 ドイツ語の先生は、その時まだ日本で生活をしてたそうなので、友達に電話をして確認をしたと言っていました。 タンデムのSさんにも当時の事を聞いてみたことがありますが、まだ子供だったので関心がなかったと言ってました。10歳くらいだったと思うので無理もないかな。 英語の先生は、まだ西と東が分かれていた頃の記憶で、お父さんの運転する車で西ベルリンへ行った時、途中トイレへ行きたくなって、お父さんにトイレに行きたいと言ったら、ここでは停まれない、我慢して、と言われた記憶があるそうです。子供だったので、なぜ停まれないのか理解が出来なかったとのこと。高速道路を通っていたらしいのですが、西ドイツから西ベルリンへ行くには、一部東ドイツを通らなくてはならず、かなりナーバスになっていたとの話でした。 東ドイツの人々は移動にも制限があり、自由に世界を旅することというのもあり得なかったし、出国できたとしてもかなり厳しい監視があったとか。 今回ベルリンへ行くなら、ドイツの現代の歴史に触れてみたいと思っていたので、DDR博物館や壁博物館に行ってみました。 ドイツ語と英語のみだったため、日本語で読む時に比べたら、感覚的にいまいちなのですが、多少でも触れられたかなと思いました。 こうして実際にベルリンに行ってみると、東西ドイツだった頃のドイツを見ることが出来たら良かったなと感じます。
by withflute
| 2013-10-25 04:35
| 旅 ドイツ
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