学生の頃にたぶん誰もが一度は読んだこと・聞いたことのある『アンネの日記』の中に出てくるフランク一家が2年間隠れ家として使用していた家です。

アンネはドイツのフランクフルト・アム・マインに裕福なユダヤ人一家の次女として誕生した。そこで姉のマルゴットと両親の4人で暮らしていたが、反ユダヤ主義を掲げる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が政権をとると、父オットーの考えでユダヤ人迫害から逃れるため、一家はドイツを離れてオランダのアムステルダムへ亡命した。
だが第二次世界大戦中、オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われ、姉のマルゴットに労働キャンプへの召集令状が届いたことで、1942年7月6日に一家は、父オットーの職場があったアムステルダムのプリンセンフラハト通りの隠れ家で潜行生活に入ることを決めた。
この隠れ家にはフランク一家とヘルマン・ファン・ペルス一家3人、歯科医フリッツ・プフェファーも入り、計8人のユダヤ人が暮らした。
ここでの生活は2年間に及び、その間、アンネは隠れ家での事を日記に書き続けた。1944年8月4日にゲシュタポに隠れ家を発見され、隠れ家住人は全員がナチス強制収容所へと移送された。
アンネは姉のマルゴット・フランクとともにベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移送された。収容所の不衛生な環境で、チフスにかかり15歳でこの世を去った。はっきりした日付けはわからないが1945年3月上旬頃と見られている。

アンネがこっそりと眺めていた隠れ家の隣に建つ西教会の塔

アンネは2年間外にも出られず、物音を立てない生活を送ってきたわけだが、彼女が将来の夢としていた作家になることの思いを表現していたのがこの日記なのではないかと思う。
この日記には、隠れ家生活の中で思春期を迎えたアンネの思いも綴られている。
隠れ家は、アンネの日記の中ではせまくて窮屈という表現がされているが、実際の家は私が想像していたのよりは広く部屋数も多かった。でもここに8人も住んでいたのだから、思春期の女の子としては窮屈な思いをしたことだろう。
日本にも戦争という悲しい歴史があるが、ヨーロッパにも悲しい歴史がある。これを忘れないようにしなくてはならない。このアンネの家はその象徴のひとつなんだろう。

アンネの家はダム広場から歩いて行ける距離に建っています。
世界中から訪れるためちゃんと日本語の案内もありました。
チケットを購入するのに並ぶのを覚悟して、と観光案内に書いてあったので、覚悟して行きました。でも私達が行った9時過ぎ(開館は9時)には20人程しか並んでおらず(多分少ない方)そんなに待つことなく入れました。ハイシーズンにはかなりの行列が出来ると思われます。私達は出てきた時は列が長くなっていましたから、時間が早かったのも良かったのかな。
長々とオランダ旅行記を読んで下さった方ありがとう~。
オランダは小さな国だけど見どころが沢山でした。また行ってみたいです。
では最後にオランダグッズとアムステルダム駅近くのカフェで食べたアップルケーキです。








今回の旅ではそういった建物を廻ることは出来なかったのですが、古いヨーロッパらしい建物の写真を載せてみました。
この建物はユトレヒトに向かう電車の中から。これは現代的デザインですね。


ユトレヒトの街並み。

ドム塔






アムステルダム・西教会



オランダで驚いたことは、アムステルダムが自転車王国だったこと。本当に自転車が多い!駅前には、この自転車は放置したものを集めてきたのか?というくらい自転車がズラリ。
みんなこういうカゴを前につけ、後ろには郵便屋さんがつけるようなポケットタイプのカゴをつけて走っています。ドイツも自転車が多いと思いましたが、比べものにならないくらい多い!!


アムステルダム・運河の街並み

アムステルダム中央駅。東京駅のモデルとなったと言われている。


マヘレのハネ橋。この橋はアムステルダムの木造の橋のひとつ。

運河には人が住んでいるハウスボートが浮いていました。アムステルダムは住宅不足のためこういったボートを持ち込んでの居住を認めているとのことだ。




ダム広場に近い運河沿いに建っているホテルで、アンネの家までも歩いて行ける場所です。
ホテルにはラウンジがあって、無料でコーヒー、紅茶のサービスがありました。クッキーも置いてあって美味しかったです



朝食のクロワッサンが焼きたてでこれまた美味しい~。ついつい食べ過ぎてしまいます。



ドイツおなじみのこれもありましたよ。


アムステルダムは全体的に宿泊代が他に比べて高いように思いますが、今回泊まったホテルは、またアムステルダムに行くことがあったらぜひ泊まりたいと思う所でした。




ホテルのロビーに無料インターネットがあって、そこで帰りのフライトのチェックインをしていたら、フロントのお姉さんから、どこから来たの?と話しかけられました。
どこから来たのと聞かれると、ドイツと答えるべきなのか日本と答えるべきなのか迷うのですが、ダンナがドイツと返事をすると、日本人ですか?と聞かれたのです。
YES~と言うと、
『今日、新婚旅行で泊まっている日本人夫婦がいるんだけど、日本語で”結婚おめでとう”と書きたいので字を教えてください』と言われました。
お安い御用で~す、と紙に日本語を書いてあげました。そんなサービスもしているんですね~

で、翌日チェックアウトの時、このホテルは部屋のネット使用は24Hで10€かかるのですが、それを昨日の御礼に無料にしてくれたのです!Lucky~!なんだかとっても得した気分

ネット代が無料になったからではなく、ホントにこのホテルはお薦めです。



これ、自動販売機で売っているんです!

本で読んだ時、日本の高速道路SAにある、ハンバーガーとかの自動販売機を想像していたので、あんまり美味しそうじゃないな~と思っていたのですが、ユトレヒトで見つけた自動販売機、すごく種類があってビックリ。
ここの自販機は中華を売っているお店の横にあって、この自販機の後ろで、ここのお店の人が常に揚げたて、作りたてを補充していました。

おいしそう~。ってことで、一個(1€)買ってみました。

中華屋さんのクロケットだから、中華の味がしました。あつあつ、美味しかったです~

ユトレヒトから戻って、この日の夕食は『THE PANCAKE BAKERY』でオランダ名物パンケーキ!

オランダでは元々外食という習慣がなかったため、オランダ料理というのはあまり種類がないそうだ。
だから逆にオランダでは世界各国の料理が食べられるのだそうです。
でもせっかくなので、オランダ料理、パンケーキを食べに行きました。パンケーキと言ってもクレープのような薄い生地のもので、甘いパンケーキだけではなくて、食事にもなるハムやチーズ、オニオンなどがのったパンケーキもありました。
ひと口食べると確かにパンケーキのような味がしました。おいしい、でもサイズがデカイ!薄いとはいえ同じ味をこれだけ食べるのはちょっと飽きちゃうかも。甘いデザート系とハーフハーフがあったら良かったのに。

こちらはダンナの注文したオムレツ。こちらもデカイ!3個は卵を使っていると思われるオムレツの下にはパンがしいてあります。オムレツもふんわりして美味しかったです。

おなかいっぱいです。ごちそうさま。アムステルダムの夜景を見ながら散歩をしつつホテルへ戻りました。




1つは12月25日。もう1つは12月5日(6日が誕生日だが、そのイブを祝う)を『聖ニコラス』という聖人の降誕祭として祝う慣習があるそうです。
そのため、オランダには1ヵ月早くクリスマスが訪れるということです。
その『聖ニコラス』とは、『サンタクロース』の起源ということです。
聖ニコラス伝説が17世紀、オランダ人の移住とともにアメリカに渡り、年月を経て白馬はトナカイに代わり、体型は太っちょにはなりましたが、サンタクロースは聖ニコラスを起源としているのです。(オランダ政府観光局HPより)
オランダのクリスマスは、11月中旬にシンタクラースSinterklaas(サンタクロースの語源となったオランダ語)が蒸気船に乗ってスペインからオランダにやってくることから始まります。そして国中をパレートするのです。そのシンタクラースはたくさんのズワルトピットZwarte Pietという黒人のお供を連れてやってきます。
シンタクラースは良い子には贈り物を、悪い子にはお仕置きを。お供のズワルトピット達は子供に『ペパーノーテンPepernoten』というシナモンの香りがするお菓子を配ってくれます。
オランダに行ったその日がまさにシンタクラース到着の日でした~。
これは13日(土)にユトレヒトで船に乗ったズワルトピット達。

演奏もしながら楽しそう。


14日(日)はアムステルダムにシンタクロースが到着する日ということで、この日は11時頃からアムステルダム中央駅周辺のトラムも一部止まり、道路も通行止め。
既にズワルトピット達はダム広場で演奏したり、踊ったり、お菓子を配ったり。周辺にはシンタクラースを待つ人でいっぱいです。子供たちはこのズワルトピットの衣装をつけてお菓子をもらっていました。


あ!壁をズワルトピットが~



ズワルトピットも交通整理?反射ベストを来て歩いています。

12時頃にアムステルダム中央駅の港に船が到着してシンタクラースが上陸、パレードをするという予定だったらしいのですが、12時半頃から中央駅近くで待ってはみたものの、1時間経過しても姿が見えません。
この日はあいにくの雨模様。寒いし、他に見たい所もあるし、どうしようかと思ったのですが、結局シンタクラースには会えず私達は立ち去りました・・・
ズワルトピットが配るお菓子はこんなものだそうです。you tube でみつけた、軽快な音楽にのってドウゾ。
そういえば、宿泊したホテルに14日の朝に置いてあったものと同じです。やっぱりシンタクラース上陸にちなんでかな。


ここはセントラル・ミュージアムの向かいに建っていて分館になります。ディック・ブルーナ・ハウスには、ミッフィーの作者であるブルーナさんの作品コレクションや映像がありました。

ブルーナ・ハウスの入口を入ると、黄金ミッフィーがありました。金ピカ!
これは1955年生まれのミッフィーの50歳を記念して作られたもの。なんだかいつものミッフィーよりずんどうです・・・

椅子。


世界中の言語で書かれているミッフィーの絵本です。日本語もありました。


ミッフィー以外の作品も。


ミッフィーとパパママ。
ミッフィーの口はバッテンですが、パパママはそれに横棒が一本入っています。しわを表すそうです。


SHOPのミッフィーグッズ。買えないから写真だけ・・・


『ミッフィー』とは、英語訳版が出来た時につけられた英語風の名前だそうだ。
オリジナルはウサギを意味するオランダ語 konijn に接尾語 -tje (小さく愛らしいもの)を付け、 『ナインチェNijntje 』という名前ということだ。
ミッフィーの絵はみんな顔が正面を向いています。それはなぜかというと、正面から向き合って読者と対話をすることが作者のポリシーだから。正面を向くということはうそをついていたら出来ないこと、正直な子供たちと正直に向き合うこと、がブルーナさんの考えなんだそうだ。
ミッフィーを見た後にドム広場近くにある『テオ・ブロム』というお菓子屋さんに寄ろうと思っていたのに、すっかり忘れてミッフィーをじっくり見過ぎました。17時までだったのでもう閉店・・・がっかり。
しかも15:30から土曜日はドム教会で無料コンサートをやっていると書いてあったので、もしかして聴けるかもと思っていたのにそれも忘れていました。残念・・・
17時半くらいの電車に乗ってアムステルダムへ移動しなくてはいけなかったので、5時間くらいのユトレヒト滞在でした。もう少し時間があったら良かったな。




運河に沿って歩いて行くとたどりつくはず。・・・・行き過ぎてしまいました。多分、像の周辺には人がいるだろうからわかると思って、どんどん歩いて行ったのですが、結構過ぎてしまったようで、Uターン。
ありました~ミッフィーです。

像の周囲には誰もいませんでした。記念写真を撮っているのは私達だけ。日本人にしか興味がないの?
ところで、オランダではミッフィーではなく『ナインチェNijntje 』と呼ぶのだそう。『ミッフィー』とは英語訳版が発行されたときにつけられた英語風の名前だそうだ。
ユトレヒトにはミッフィーの信号機もあるんです。街中の信号機がミッフィーだと思ったらさすがに違いました。
ユトレヒトの駅を出たところにある郵便局の前の交差点がそれでした。夕方で暗くなってしまい、人も多くてうまく写真が撮れなかったので、これはオランダ観光局から拝借しました。

次は、セントラル・ミュージアムとへ。セントラル・ミュージアムはユトレヒトで一番大きな博物館。ディック・ブルーナ・ハウスはその分館。今回の目的はもちろんディック・ブルーナ・ハウスの方です。
この博物館にカフェがあると観光案内本に書いてあったのでそこで休憩しようと思ってやってきました。のども渇いたし休憩休憩。と思ったら、カフェのフロアは真っ暗です。営業していません・・・冬はやらないのかしら・・・
とりあえずどこかに入ろうと、お店を探しますが、駅から離れるとカフェも少ないようで、博物館とブルーナハウスの間の道をまっすぐ広い通りへ行ったつきあたりのお店『KEEK』に。

私はチーズトースト。奥のお皿はオランダ風のパンに野菜をのせたサンドイッチのようなもの。ハムを頼んだハズなのにベジタブルが出てきました。ダンナはがっくり。でもヘルシーでいいんじゃない?っと言っておきました。




朝9時ミュンヘン空港発の飛行機で出発です。出発前に朝の一杯。


天気予報ではアムステルダムは土日とも雨


ルフトのサンドイッチ。朝ご飯にいただきま~す。

約1時間半で到着。
アムステルダムにあるスキポール空港ももうクリスマス。

天気は曇天。かろうじて雨は降っていなくて良かった・・・

土曜日の今日は、スキポール空港から電車でユトレヒトまで移動。約30分で到着です。

電車での移動の途中、ありました~オランダの風車です。
写真が暗くて見づらいのですが、木の陰に風車が見えます。アムステルダムの街中で風車は見られないと本にあったので、これを見られてラッキーでした。


一泊二日の旅でアムステルダム以外の場所へ行くのは少々スケジュール的にきついのですが、どうしてもユトレヒトに行ってみたかったのです。
その理由はこれです。

ミッフィーの生まれた町。

